多くの酒蔵が軒を連ねる会津若松市。
その中にあって、末廣酒造は一際大きな存在感を放っています。
会津の、そして福島の酒造りを牽引してきた蔵としての矜持を聞きました。
酒処・会津を代表する歴史と伝統の蔵
江戸時代末期には会津藩の御用酒蔵でした。千円札でおなじみの細菌学者・野口英世とは親戚関係にあり、母のシカさんがたびたび訪れた記録も残ります。末廣酒造はそんな会津の歴史とともに歩んできた蔵元。創業当時の面影を残す木造3階建ての「嘉永蔵」を前にすると、長い時の流れに思いを馳せずにはいられません。現在では酒造りの役割の多くは、「博士蔵」(会津美里町)に移りましたが、連日多くの観光客が訪れ、変わらぬ賑わいを見せています。
「こっち(嘉永蔵)は少人数で作る昔ながらの伝統的な酒、向こう(博士蔵)は最新のテクノロジーに基づく酒。それぞれタイプは違いますが、不思議なことにこれらが絶妙に合わさったのが“末廣”の味です」とは、現当主の新城猪之吉さん。末廣酒造は代々の当主が“猪之吉”の名前を受け継ぐことになっており、現在の猪之吉さんで7代目。「歴史を背負うのは重いよ」と笑いますが、その目に迷いはありません。
「ご先祖の働きには感謝しています。うちはとにかく新しもの好きの家系で、興味を持ったらどこにでも飛んでいき、誰よりも早く取り入れる、そんなやり方で蔵を守ってきました。ただ同じ方法を引き継ぐのは伝承。それだけではいずれ廃れてしまいます。時代の新しいものを取り入れてブラッシュアップしていくことが伝統であり、末廣が大切にしていることなのです」
新城社長のそんな想いを体現する言葉が「不易流行」。これは俳人・松尾芭蕉が提唱した哲学のひとつで、「変わらない本質を持ちながら、新しく変化しているものを取り入れていく」という意味があります。末廣酒造では、この考えのもと時代の先を行くさまざまな挑戦を重ねてきました。そのひとつが海外進出です。
「初めて海外でやってみようと思ったのは25年前。その時は全然相手にしてもらえませんでした。後に日本食がブームになり、ようやく日本酒に光が当たるようになりましたが、フランスワインだけで1兆円の市場規模に比べれば、日本酒はせいぜい100億円。問題外です。まだまだがんばらないといけません」
老舗酒蔵が見据える福島の日本酒の未来とは
そんな中、2007年の世界最大のワインコンテスト「International Wine Challenge」(通称:IWC)SAKE部門では、末廣酒造の「伝承山廃 純米末廣」がゴールドメダルを受賞。ほかの蔵に先駆けて世界に挑み、見事高評価を獲得したのです。これぞ、逆境に負けない会津人の気風! 現在はアジア圏、そして北欧へも精力的なPRを行っています。
厳しい現実の中で、酒蔵に求められること
しかしその一方で、大きな壁も立ちふさがります。
「福島第一原発事故以来、やはり県産日本酒は厳しい状況にあります。福島県酒造協同組合の会長を務める身としては、風評に立ち向かうため、県内の酒蔵が一致団結していい酒を作っていくことを提唱しています。その上で安全宣言はやり続けなければいけません。でもお客さんに飲んでいただくには、“おいしい”という情報がなければダメ。今年、福島県は全国新酒鑑評会で4年連続金賞受賞数1位に輝きました。たとえひとつの目安にすぎないとしても、No.1になることはいいアピールになると思っています」
地酒ブームの裏側で、日本酒全体のマーケットは少しずつ縮小傾向にあり、決して見通しは明るくない、と新城社長は言います。長きにわたって日本酒業界をリードしてきたからこそ、厳しい現実があることも身をもって感じているのです。これからの時代、酒蔵が大切にすべきことはなんですか? そう問うと新城社長は力強い答えをくれました。
「地域にとって必要な存在であることです。地域に貢献せよとは、ご先祖からの教え。伝統産業を守ってくれるのは消費者ですから、身近にファンを作ることですね。不安じゃないよ(笑)」
末廣酒造が会津を、そして福島を代表する蔵として、信頼を集める理由。それは時に厳しく、時にユーモラスに本質を見つめる歴代社長たちのこんな目線があったからかもしれません。