大ヒット銘柄「ゆり」誕生の背景とは
会津若松市の中心部・七日町通りは、古くから鶴ヶ城の西の玄関口として栄え、今なお趣のある街並みが残るエリア。鶴乃江酒造はこの地で200年以上にわたる長い歴史を刻んできました。
「今年は去年より寒い分、お酒を仕込むにはいいんですけど、お米の質は違うので同じようにはいきませんね。日々気持ちを新たに取り組んでいます」
そう語るのは7代目・林平八郎さんの娘、ゆりさん。女性の造り手として、20年来お酒とともに歩んできました。最初は親孝行のつもりで志したお酒の道に転機が訪れたのは、大学を卒業して1年目のこと。東京の百貨店で試飲販売を行っていた際、担当者から「女性による女性向けのお酒を造ってみませんか?」と提案されたときでした。
「何しろ全く経験もないので、杜氏さんと母に頼りながらコンセプトから固めていきました。地元のお米と福島の酵母で醸した純米大吟醸で、ボトルやラベルも女性が親しみやすいように工夫しました」
こうしてできあがったお酒は「ゆり」と名付けられ、大きな反響を巻き起こします。
「命名は最終的に父が決めたのですが、最初はいやでしょうがなかったんです。1年目の駆け出しがお酒に自分の名前を付けるなんて恥ずかしいし、恐れ多くて。 でもお客さんには覚えやすくていいと好評で、そのうちに開きなおって“私のお酒です!”と言えるようになりました」
そんなゆりさんと共に蔵を盛り立てるのが、統括部長で夫の向井洋年さん。大学の同期でもあるふたりの二人三脚が、現在の鶴乃江酒造の基盤になっています。根っからのお酒好きという向井さん曰く、「酒は作るものじゃなくて飲むもの」。鶴乃江酒造では、世に出すお酒はすべて向井さんの舌に合格したものと決まっています。
「自分の好みの酒を造っている、ただそれだけなんですよ。ゆりからは“お客さんにバリエーションを!”と言われますが、自分が嫌なものはやはり造れない。そこで喧嘩が始まるんですけどね(笑)」
苦難のときを乗り越え、手にした栄光
近年、全国新酒鑑評会や「SAKE COMPETITION」など、さまざまなコンクールで輝かしい成績を収め、名実ともに福島を代表する酒蔵のひとつとなった鶴乃江酒造。しかし、数年前までは苦難の時期が続いていたと向井さんは言います。
「うちは長らく酒販店での売り上げがなく、百貨店での試飲販売がほとんどだったんです。居酒屋にも酒屋にもない酒。これではいけないと思って少しずつ開拓していきました。それでも知名度がなく伸び悩んでいた矢先に震災が起こったのです」
未曾有の災害のあと、全国各地で東北の復興支援を謳う物産展が開かれるようになり、鶴乃江酒造のお酒が広く出回るようになると、日本酒ファンの間で「今まで飲んだことがなかったけどおいしい」と評判に。加えて、全国各地の蔵元と酒販店が揃う「仙台日本酒サミット」で初参加ながら3位にランクイン。もともとの酒質の良さがようやく日の目を見た瞬間でした。
「宣伝ができない代わりに出品するコンテストは全部獲りに行く覚悟で挑んでいます。毎年少しずつ傾向が変わる中で、それを敏感に感じて、続けて受賞していくのは難しいこと。一度獲ったからもういいやではなく、その時のトレンドを読むためにも必要だと考えています。まあ、フィギュアスケートで言えばショートプログラムですね(笑)」
と、力強く語る向井さん。一方、造り手であるゆりさんは、数々の受賞以降、蔵の中にこんな変化を感じていました。
「(評価が高まるにつれて)雰囲気がずいぶん変わりましたね。蔵人たちも“うちの酒はいい酒だ”と自信がついてきたのではないでしょうか。担当ごとの責任感も出てきたし、同じ方向を見て造りに取り組めるようなったと思います」
蔵の成長とともに、蔵人もまた成長する。そんな理想的な姿が生まれつつありました。
「良いお酒ができて、次の世代も育ってきてくれているので、あとはみんなの働きやすい環境を作っていかないと。鶴乃江で働いて良かったと思ってもらえるような蔵でありたいですね」
毎年恒例の甑倒し(その年の最後の仕込みを終えること)のお祝いでは、隠し芸大会が始まり、実に7升ものお酒がカラになるほどの大盛り上がりだそう。まさに「和醸良酒」(良いお酒は酒に携わる人たちの“和”によって生まれ、良いお酒は人と人との関係を良くする)。鶴乃江酒造の酒造りに、この言葉の真の意味を見た気がしました。