ひとりの若者の 決意の裏にあったもの
近年、日本酒の世界では若手の活躍に注目が集まっています。ここ福島県でも、将来を期待される頼もしい造り手が次々と登場していますが、豊国酒造の9代目・矢内賢征さんもそのひとり。現在31歳。4年前に引退した杜氏の後を受け継ぎ、醸造責任者として「東豊国」の味を守っています。
一方で、2011年には自身のブランド「一歩己」を発表。“己の歩みを表す酒”という意味のとおり、年々進化する味わいは多くの日本酒ファンから支持されるまでになりました。
「東豊国は昔からの味を変えず、ずっと飲んでくださっている方のために造るお酒。一歩己はこれからファンになってくれる人に向けて造っています。今年は東豊国が県の鑑評会で金賞を受賞し、地元以外にも広く知っていただく機会が持てたり、一歩己で中田英寿さんプロデュースの『CRAFT SAKE WEEK』に呼んでいただいたりと、それぞれに嬉しい出来事があって、少しずつ前に進んでいるような実感がありますね」
そう語る溌剌とした笑顔からは、酒造りへの情熱がひしひしと伝わってきます。しかし、かつての矢内さんは酒蔵を継ぐことには後ろ向きだったそう。
「子どもの頃から意識して蔵には入らないようにしていました。距離を縮めてしまうと、自分と家業との関係を直視することになるような気がして……。だから、お酒の席でも日本酒はほとんど飲みませんでしたね」
そんな矢内さんの心を変えたのは、地酒ブームを巻き起こした蔵元たちの存在でした。
「まだ学生の時だったのですが、ある本を読んで蔵元が酒造りをする、いわゆる蔵元杜氏の存在を初めて知りました。その頃は、酒造りは杜氏、蔵元は経営と役割が違うのが当然と思っていたのでとても衝撃でした。そして、もし自分にもそういう道があるなら、やってみたいと思うようになったんです」
それから8年。酒造りに関する一切をイチから学び、矢内さんの今があります。先人へのリスペクトと新しい世界への好奇心が、日本酒の世界にまたひとり、素晴らしい造り手を生み出したのです。
何よりも地元のために 自慢の酒を目指して
豊国酒造のある古殿町は、阿武隈山系の山々に囲まれた自然豊かな町。学生時代を東京で過ごした矢内さんにとって、家業の酒造りに携わることは、再び地元と向き合うことでもありました。
「最初は新しいことをしたくて、東豊国はなくてもいいなんて考えたこともありました。でも、町の人の話を聞く中で、東豊国がとても愛されていることを知って。その愛を裏切るようなことはできないし、報いないといけないと思いました。理想は、“いつも飲んでいるから”ではなく、“おいしいお酒だから”と選んでもらえること。地元の誇り、町の人の自慢になりたいんです。一度家を出たからこそ、気づいたことですね」
矢内さんに芽生えた地元愛は今や町内にとどまらず、同じ県中地域に蔵を構える同志と勉強会を開催したり、酒販店や飲食店との連携など新たなフェイズへ。同世代の多い、県中・県南地域のお酒をもっと盛り上げていきたいと、意欲を見せます。
「まずは苦労してお酒を作ることですね。苦労していいものができたらお客さんが買ってくれる、おいしいと思ってもらえる、そんな当たり前の流れが作れたら」
苦労するということは、言い換えればお酒に対して愛情を持つこと。その果てしない道のりを共に歩み、互いに切磋琢磨する仲間がいることは、何よりも心強いことかもしれません。
「誰かの真似ではなく、うちの蔵の形を見つけたいです。豊国酒造にふさわしい酒とは何なのか考え、こだわり続けたいですね。今後の目標? それを早く決めたいです(笑)」
今やるべきことに全力で取り組むことで、その先に目指すべき新たな道が見えてくると信じる矢内さん。
最後に「お酒造りは楽しいですか?」と質問したところ、
「めっちゃ楽しいですよ!」と満面の笑みで答えてくれました。 焦らずに一歩ずつ。確かな歩みはいつの日かきっと、まだ見ぬ新たな造り手たちの標となることでしょう。