取締役 宮森 優治さん
1965年生まれ。大学卒業後、メルシャン㈱を経て、榮川酒造㈱に入社。2016年、株式会社ヨシムラ・フード・ホールディングスの子会社化により取締役に就任。
高い技術力と名水で醸す バランスの取れた味わい
会津のシンボル、磐梯山の裾野の森に抱かれて- 。創業の地でもある会津若松市から、磐梯町へと移転して30年。榮川酒造はその恵みを一身に受けてきました。その最たるはなんと言っても水でしょう。榮川酒造の仕込水は、日本名水百選にも選定されている「龍ヶ沢湧水」。日本に酒蔵は数あれど、日本名水百選で日本酒を醸している蔵は榮川酒造をおいて他に1軒のみ。取締役の宮森優治さん曰く「移転直後にこの一帯が名水百選に指定されたのですが、もし先に決まっていたら蔵を移動できなかったかも」とのことで、その巡り合わせには運命すら感じます。昭和22年に東北初の一級酒工場に認定されるなど、古くから技術力の高さを知らしめてきた榮川酒造は、いいお酒に欠かせない良質な水源を手に入れ、確固たる地位を築いてきました。
「〝甘酸辛苦渋〞のバランスが取れたお酒でありたいと思っています。5つのうちのどれかが飛び出すのは私たちの本意ではありません。飲んだ瞬間の感動よりも長く飲み続けられる酒を目指しています」
その姿勢を最も体現しているのが「榮川 特醸酒」。種類やサイズ違いも合わせれば100種類を超える榮川酒造のアイテムの中でも圧倒的人気を誇ります。昨年発売50 周年を迎え、ラベルをリニューアル、酒質もより飲みやすく向上させました。
「大々的にリリースはしませんでしたが、それでも変化に気付いて電話してきてくださった方もいて。根強いファンがいてくれることを再確認しました。昨今、特定名称酒に力を入れる蔵も増えてきましたが、それは普通酒がダメなのではなく、お客様に価値がきちんと伝わっていないからだと思います。値段も手頃で気持ちよく飲んで酔える、そういう良いところを知ってほしい。だからうちは造り続けるし、手は抜きません」
純米酒ブームで普通酒から遠ざかってしまった人、またはブームをきっかけに日本酒を飲み始めた人へもアピールしていきたいと語る宮森さん。さすがは、半世紀愛されてきた定番酒を持つ蔵。流行り廃りに流されず、本質を見極めてこそ地域に根ざしたブランドへと上り詰めることができたと言えます。
蔵の大転換から見えた これからの〝榮川〞
一昨年、榮川酒造は食品関連の企業を取りまとめる株式会社ヨシムラ・フード・ホールディングスの子会社となりました。日本酒の消費の低迷などさまざまな要因が重なって経営が逼迫した中での、思い切った決断でした。
「おかげさまで足元がしっかりしました。酒造りにとても理解がある会社で、いいものを作るのが大前提でバックアップしてもらっています。先ほどお話した特醸酒の味を変えるというようなこともヨシムラさんと一緒になったからできたこと。それまではコスト感覚に敏感になりすぎて、酒をいじめるような造りにもなっていました。正常進化ができていなかったんです」
宮森さんを後押ししたのは、「今日よりも明日どう良くなれるか」という自分への問いかけ。日々少しでもいい結果を得られるよう努力することは、たとえ周囲から要領悪く見えることがあっても貫くべきと心を決めたと言います。明治2年から続く長い歴史の上でも、大きな変化を経験した榮川酒造。今後はどんな未来を思い描いているのでしょうか。
「地酒屋らしい地酒屋になっていきたいです。私の思う地酒らしさとは、その土地のものでその土地の人が作ること。そのために使用する米も徐々に会津産に変えている段階です。いいお米をよそから持ってくれば、いいお酒ができるかもしれないけど、それを会津の酒と言えるかというと、どうでしょう。それでも山田錦の方がおいしいと言われたらごめんなさいですが(笑)、それが榮川の味だし、会津の味だから」
迷いのない言葉には、再出発に込めた決意がにじむよう。進むべき道が明確になったことも変化のひとつですか?
「いろいろあって開き直っちゃったかな(笑)。でもこれからはやっ ぱり原点回帰していかないといけない。長年のファン、従業員、それからお米を作ってくださる農家さん、地域の方々からの信頼を裏切らない酒蔵でありたいと思っています」
榮川酒造株式会社
福島県耶麻郡磐梯町大字更科字中曽根平6841-11
TEL:0242-73-2300
http://www.eisen.jp/website/