福島県には何十もの酒蔵がありますが、多くが会津地方に集中しています。
県の中央・北に位置する福島市には、今や酒蔵はわずか一軒。
それが、金水晶酒造店です。
4代目の斎藤美幸さんは、東京のテレビ業界で忙しく働いており、
蔵は先代で終わると思っていました。
しかし、東日本大震災の後、「たった一軒の蔵を失くしてはいけない」と決意。
家族を東京に残し、単身福島へ。
40代にしてまったくの異業種へ飛び込み、蔵のために奮闘してきました。
今、そんな美幸さんを専務として支えているのが、息子の湧生さんです。
「蔵を遺す」 ―― その一心で逆境に立ち向かい続けるお二人にお話を伺いました。
最高賞を獲得した矢先に……
今年3月、金水晶酒造店は、福島県春季鑑評会の「吟醸酒の部」で、最高賞となる「県知事賞」を受賞しました。
「鑑評会は、いつも結果が出るまでとても緊張しているんです。思いがけず大きな賞をいただけて、本当にうれしかったです。杜氏と専務の湧生がよく話し合って、妥協しない酒造りを追求したことが、良い結果につながったんだと思います」と美幸さん。
しかし、受賞翌日の3月16日、福島県を最大震度6強の地震が襲いました。金水晶酒造店のある福島市では震度6弱を記録。当初、蔵人にも蔵にも大きな被害がないと思われていましたが、建築士に診てもらうと、建物はかなりの重症。中でも、酒造りに欠かせない米を蒸す釜のダメージが大きく、買い換えるにしても納品は冬頃とのこと。それでは秋に始まる次の酒造りに間に合いません。1年酒造りを休むしかない……というところまで追い詰められてしまったのです。
とにかく蔵を続けること
地震の後、奔走したのが湧生さんです。「造り続けなければ」とあちこちを駆け回り、どうにか新しい釜を見つけ出しました。ただし、サイズはこれまでの半分以下。これを機に、小さく丁寧に造るよう方向転換をすることにしました。この冬も、金水晶酒造店は酒を造ることができるのです。
美幸さんは一度も蔵に入るようにと言ったことがなかったそうですが、実は湧生さんは、子どもの頃から継ぐつもりだったといいます。
「子どもの頃は、忙しい母に代わって、曽祖母と祖父母が育ててくれました。蔵にもよく出入りしていましたし、蔵を継ぐというのは自然な流れだったんです」
福島県内の銀行に勤めた後、4年前に戻ってきた湧生さん。数字が苦手な美幸さんに代わって価格設定や販売比率を見直し、蔵を存続していくための体制を整えました。
「私が戻ってきてから、難局続きなんです。数字を見直して、さあこれから……となったらコロナが来て、そこにこの地震です。とにかく、何があっても、意地でも蔵を続けることだけを考えています」
福島県を支える、いち酒蔵として
今月お送りした『金水晶』について、「福島の誇りを伝えるために造っています」と美幸さん。
「福島市に酒蔵は一軒だけ。だから、クセがなくどなたにも飲みやすいお酒を目指しています。するする飲めて、料理を引き立ててくれるお酒です」
福島県は現在、全国新酒鑑評会において史上初の「金賞受賞数9回連続日本一」。金水晶酒造店も、何度も金賞に輝いています。「金水晶は、福島の酒蔵のみなさんに育てていただいている蔵です。うちが金賞を取ることで、少しでも福島県に貢献できるなら、こんなにうれしいことはありません。1人でも多くの人に、『おいしい日本酒といえば福島だよね』と思ってもらえるように、これからも良い酒を造りたいですね」と美幸さん。今年もまた酒造りをすることができる喜びをかみしめて――。さあ、福島市唯一の酒蔵から、今年はどんな酒が生まれるのでしょうか。