日本酒なんて、古臭くてつまらない―。
町を飛び出し、東京の大学へ進んだ豊国酒造の九代目である矢内賢征さん。
そのまま就職するつもりでしたが、一冊の本との出会いが人生の転機に。
その本は、日本酒と真摯に向き合い、
情熱を持って酒造りに挑む先人の姿を描いたルポルタージュでした。
「なんて格好良いんだ」と衝撃を受け、酒造りの道を歩み出します。
そうして蔵に戻って10年余り。
酒造りをゼロから学び、『一歩己』という銘柄を立ち上げ、磨き上げ―。
必死で過ごしてきた日々があったからこそ、
今は少し肩の力を抜くことができているのだそうです。
ようやく、地元・古殿町が居心地良くなった―。
そう語る矢内さんの、現在地とは。
酒蔵と地域との結びつきを
昨年10月。使っていなかった蔵を改装して、『kuranoba』がオープンしました。お菓子作り・英会話・フラワーアレンジメント・絵本の読み聞かせなど、多彩なイベントを開催。子どもをはじめ、これまで酒蔵にあまり縁のなかった人が数多く訪れています。
日本酒だけでない蔵のあり方を模索してきた矢内さん。豊国酒造の創業は江戸時代です。200年もの間続いてきたからには、地域にとって深い意味があったはず―。現に、かつての酒蔵は地域の神社・仏閣や祭事との結びつきがありました。現代の酒蔵として、地域とどんな関係を築くことができるのか―。それを形にしたのが『kurano ba』なのです。
「大人になった子が、『ここで英語を勉強したっけ』なんて思い出してくれたらうれしいですね。日本酒じゃなくていい、酒蔵という場所が記憶に残ってくれればいいいんです」
“ホーム”が一番
『kuranoba』の誕生には、コロナ禍も影響しているそうです。外に出られなくなり、人に会えなくなり、矢内さんの考えが変わりました。
「例えば『東京に出かけないと面白くない』のように、楽しさを“外”に見出していると、こういう時につまらなくなってしまうんだと痛感したんです。それで、『楽しさは自分の一番近くにあるべきだ』と考えるようになりました。誰にも制限がかけられないところに」
矢内さんにとっての「一番近く」―もちろん、酒蔵です。酒蔵が楽しくなれば、まず自分が楽しい。そして、地元に楽しいことがあれば、地元の人たちも楽しい。さらに、楽しいことがあると聞けば、外からも人が集まってくる。そうしてどんどん自分が楽しくなっていく……。「そんなの、無敵じゃないですか」。
酒造りに必死だった10年間を経て、心持ちが自然と変わりました。“外”へ出て行こうとがんばっていたところから、自分が一番リラックスできる“ホーム”に人を呼ぼう、と。
「取り繕わない自分でいられるのがとても心地良いです」と矢内さん。「東京にしか楽しさがない」と思っていた20代。歳を重ねるにつれて、“ホーム”への愛しさは増すばかりです。
ここを小さな町にしたい
fukunomoユーザーでもある矢内さん。近年では自身が立ち上げたブランド『一歩己』の人気がどんどん高まっていますが、今回はあえて『純米酒 超』をセレクトしたといいます。
「『超』は、ここ古殿で長年愛されてきた地酒です。fukunomoは、みんなでわいわいオンラインで飲んで、あっという間に何時間も過ぎていくでしょう。それなら気軽に飲める『超』がぴったりです。地元のコミュニケーションツールのような酒ですから」
『kuranoba』を通じた「場作り」に力を入れている矢内さん。とはいえ、他のことをやるほどに、「良い酒を造らなければ」という緊張感も大きくなるそうです。
「古殿は小さな町です。その分、ひとつの企業が与えるインパクトも大きい。私たちの動き次第で町が変わっていくと思うんです」
まずは酒蔵の中をひとつの町と捉えるところからスタート。『kuranoba』の次は、壁画が生まれ、いずれは公園も……? 豊国酒造がつくる町に興味が湧いたら、ぜひ古殿町に足を運んでみてください。