5代目蔵元/代表社員
大谷 浩男(おおたに ひろお)さん
白河市出身。蔵を継ぐつもりで東京の大学で経営学を学び、酒問屋で2年半勤務。
先代の急逝で白河に戻り、右も左もわからないところから酒蔵経営の道へ。
酒造りも学び、杜氏も兼務した。
大谷忠吉本店の代表銘柄『白陽』。
その名前には、「白河の太陽」「白河を褒め称える」という意味が込められています。
白河で百四十年以上愛されている酒蔵は、白河の米・白河の水・白河の人にこだわった酒造りを行ってきました。
賞を目指すのではなく、地元の人が本当に望む地元の酒を、と。
二〇二三年、大谷忠吉本店には大きな変化がありました。
しかし、どんなことがあっても酒は絶やさないーー。
五代目蔵元である大谷さんの強い想いに触れることができました。
白河の酒を絶やさない
昨年10月、大谷さんは大きな決断をしました。酒造りを一旦休止するというものです。
原料費や燃料費などの上昇という外部環境と、事務を一手に担っていた大谷さんの奥様の逝去という内部環境が重なりました。
製造休止の発表をすると、「もう飲めなくなるの?」という声がたくさん寄せられたそうですが、そんなことはありません。
「140年以上続いてきた蔵の酒を途絶えさせないことが大前提でした。
そのために、今できる最善策を取ったつもりです」
今後、大谷忠吉本店は「販売元」となり、「製造元」はわずか数百メートル先にある千駒酒造となります。
同じ白河の酒蔵として、昔から付き合いがあったという千駒酒造。
製造休止の相談をすると、すぐに委託醸造の話を持ちかけてくれたそうです。
競合というよりも、地元の仲間。
その関係性が、今回の決断を後押ししてくれました。
蔵人への深い信頼が生んだ代表銘柄
今月のお酒『登龍』は、大木英伸(ひでのぶ)・裕史(ゆうじ)兄弟が立ち上げた銘柄です。
当初は20歳ほどのフリーターで、ちょっとしたお手伝いから始めたそうですが、
すっかり酒造りに魅了され、やがて蔵人として雇うことに。
まだまだ素人同然の2人に、大谷さんは「やるからには全部自分たちでやってみなさい」と小さなタンクを丸ごと預けました。
そこからおよそ3年かけ、味もラベルも販売も兄弟2人で手がけたのが『登龍』。
今や、歴史ある『白陽』と並ぶ代表銘柄です。
大木兄弟は、蔵の製造休止を機に千駒酒造へ移ることになりました。
同じ米・同じ水、そして同じ人の手で造られるお酒。
「これまでの味わいを守る」という大谷さんの強い想いがありました。
「決める」のが仕事
「社長の仕事は『決める』ことだと思っています」と大谷さん。
「神様ではないので、常に正しい選択ができるわけではありません。
でも、『何があっても自分が責任を取る』と思っていれば、やっていけるものです。
経験上、早く決めた方がメリットが大きいんです」
この信念があるから、製造休止という思い切った選択もできたのでしょう。
そして、「決める」のは仕事のことばかりではありません。
3人のお子さんがいる大谷さん、毎日のお弁当づくりも始めました。
「楽しいから続いているだけです」と笑っていましたが、
これも続けるということを「決めた」からではないでしょうか。
「何年後になるかわかりませんが、蔵を再開させられるように力を尽くします」と大谷さん。
大谷さんがそう「決めた」のなら、きっとその通りになるでしょう。
その日を心待ちにしています。