・代表取締役/10代目
山口 哲蔵(やまぐち てつぞう)さん
1978年に笹の川酒造に入社。10代目蔵元として経営を担う。
2015年に「5代目山口哲蔵」を襲名した。
・常務/杜氏
山口 敏子(やまぐち としこ)さん
郡山市内の老舗お弁当店「福豆屋」に生まれ、飲食業に携わる。
1998年の結婚を機に笹の川酒造に入社。2016年から杜氏として酒造りを行っている。
福島県のほぼ中央に位置する郡山市にある笹の川酒造。
もともと同じ地域に6社ほど酒造メーカーがあり、各社の瓶詰めを一手に担っていたといいます。
合併や撤退などを経て、残ったのが笹の川酒造です。
前身である山桜酒造から、地名の「笹川(ささのかわ)」にあやかって社名を変えました。
かつての社名「山桜」は、今ではウィスキーの銘柄として親しまれています。
そう、笹の川酒造の大きな特徴は、幅広い酒類を製造していることにあります。
日本酒・ウィスキー・焼酎・スピリッツ・リキュール……。
ビールとワイン以外は製造できるのです。
ウィスキーの蒸溜所まで備える巨大な酒蔵を2人で支える山口ご夫妻にお話を伺いました。
酒を「造る」とは……
もともとお酒が大好きだったという敏子さん。
ただ、ずっとお酒は飲むものであって、造るものではありませんでした。
「あのお酒の味と、あのお酒の飲み口と、あのお酒の香りを合わせた一本を造ってほしい……
なんて無茶なことを杜氏さんに伝えたこともありました。
もちろん『できません』と即答されたのですが、当時は本当に何も知らなかったので、
なんて意地悪なんだろうと腹が立ったほどです」
敏子さんの実家は老舗の弁当店。
料理のように、日本酒も自由に味付けができると思っていたのです。
そんな敏子さんを見ていた山口社長は、酒造りを体感してもらおうと清酒アカデミーに通うことを勧めます。
そこで学んだ日本酒の造り方は、敏子さんにとって目から鱗の連続でした。
その驚きを、敏子さんは「造る」という漢字で語ってくださいました。
「お弁当は『作る』で、ニンベンですよね。
お醤油や砂糖を入れて、人が味わいをコントロールできるんです。
ところが、日本酒は創造の『造る』。
人が手を尽くしても、最後は酵母や自然の力で出来上がるものなんです。
米と水と酵母だけで、こんなにもいろいろな味ができるなんてーー。
本当に神秘的だと思います」
そんな敏子さんは、社長や蔵人の強い勧めで、2016年から杜氏を務めることになりました。
自己主張の少ない酒
酒造りの奥深さを知ったことで、「絶対に酒造りには関わらない」と決めていたという敏子さん。
しかし、前任の杜氏が引退するというタイミングで杜氏に就任します。
「社長も蔵人もアカデミーの先生も、みんな『大丈夫大丈夫』『やってみたらいいばい』
って言ってくれるんです。
すっかり乗せられてしまって……。知識はあっても、実践するのは全く違います。
なんでやるなんて言ってしまったんだろう……と散々後悔しました」
笑う余裕すらなかった1年目。
同じ失敗をしないようにと1年目のメモをかき集めて挑んだ2年目、県の鑑評会で金賞を受賞します。
3年目にようやく一歩引いて酒造りを見られるように。
酒造りに携わって8年ほどになりますが、少し自信がついてきたのがようやく最近だといいます。
「今月お送りした『笹の川 純米』の造りも見直しました。
以前は香りを重視していたのですが、改めて味を重視するようになりました」
一方山口社長は、「自己主張が少なくて、オールマイティな酒です」と評します。
どんな温度でも美味しく飲めるのが特徴。
「自己主張が少ない」というのは面白い表現ですが、ここが山口社長のこだわりなのです。
「普段着」の酒を
「『酒だけが主役』というのは好きじゃないんです」と山口社長。
「酒だけをずっと飲み続けるというシーンは稀ですよね。
食事や会話があって、そのそばに酒がある。『今日のお酒、なんか美味しかったね』くらいでいいんです」
「笹の川っていう名前さえラベルから取ろうとしたことがあるんですよ(笑)」と敏子さん。
山口社長が今後造りたいのは、「普段着」のお酒。
ファッションショーを――
賞を目指すのではなく、落ち着く普段着のお酒なのです。
「お酒は眉間に皺を寄せて飲むものではないでしょう。楽しい酒を造っていきたいんです」と。
「ようやく納得できる品質になってきました」と敏子さん。
「今までは無我夢中でしたが、これからは自分らしいお酒を追求していきたいと思います」
これまでもこれからも、二人三脚。
派手でなくても心地の良いお酒を飲むことができそうです。